フレデリック・ショパン(1810–1849)は、生涯を通じてフランスのピアノメーカー「プレイエル(Pleyel)」を深く愛用しました。
その繊細で透明感のある音色、応答性の高いアクションは、ショパンが求める「詩的で親密な響き」と完全に一致しており、多くの作品がまさにプレイエルでの演奏を前提に作曲されました。
ショパンとプレイエルの関係は単なる「作曲家と楽器メーカー」の枠を超え、互いの芸術性を高め合うパートナーシップとして、彼の作曲・演奏・教育活動の根幹を支えました。
関係の特徴
1. 楽器の個性と音楽観の一致
プレイエルの軽やかで柔らかなタッチは、ショパンが重視した弱音・ニュアンス表現と完璧に調和していました。
2. 作品と楽器の相互影響
ノクターンやバラードのように細やかな表現を求める作品は、プレイエルの性能を最大限に生かす形で作られました。
3. 複数台の所有と用途別使用
パリのアパルトマンやノアンの別荘など、生活拠点ごとに異なるプレイエルを配置し、作曲・練習・演奏会と用途別に使い分けていました。
出会いの背景
パリ到着とカミーユ・プレイエルとの出会い
1831年秋、21歳のショパンは亡命に近い形でヨーロッパを旅し、最終的にパリに到着しました。
間もなく、当時パリの有力ピアノメーカーを率いていたカミーユ・プレイエルと出会い、この瞬間からショパンの音楽人生は大きく変わります。
音楽環境と試奏の衝撃
1830年代のパリはサロン文化が栄え、エラール、ブロードウッド、プレイエルが三大ブランドとして競い合っていました。
ショパンはカミーユの紹介で初めてプレイエルのグランドピアノを試奏し、その透明で繊細な響きに魅了されます。
ショパンの印象
後年、ショパンはこう語ったと伝えられます。
Quand je suis mal disposé, je joue sur un Érard et j’y trouve tout de suite un son fait. Mais quand je me sens en verve et assez fort pour trouver mon propre son à moi, il me faut un Pleyel.(Eigeldinger,2010)
Jean-Jacques Eigeldinger, Chopin et Pleyel, Paris, Fayard, 2010
(落ち込んでいる時はエラールが助けになるが、自分の感性や力を十分に発揮できるときはプレイエルでなければならない 日本語訳:筆者)
これは、エラールの楽器が力強く響くのに対し、プレイエルはより親密で詩的な表現に向く、という彼の感覚を象徴しているのだと考えます。
最初の所有ピアノ
ショパンが初めて所有したプレイエルは、小型のグランドピアノ(Petit Patron)でした。
1832年のパリ初リサイタルにも、この楽器が用いられた可能性が高いとされます。
関連リンク
- 愛用モデル一覧(年号・製造番号)
ショパンが使用したプレイエルの全リストと特徴。 - 代表作と使用ピアノの関係
作曲時に用いられた楽器と作品の対応。 - 手紙・記録からのコメント
ショパン自身や弟子の証言に基づく評価。 - 演奏会での使用記録
コンサートやサロンでの具体的事例。